199808 東北

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一日目

ルートマップ

 朝九時過ぎに出発した。空は晴れていた。が、北の方の空を見ると鉛色の雲が低く垂れ込めていて、いかにも降っています、という感じだった。浦和から東北自動車道へ乗る。流れは極めて順調だ。なにも食べていなかったので栃木インターの次の都賀西方パーキングエリアに寄って天ぷらそばを食べる。このところ俺はすっかりそばづいている。うどん派だったのになあ。

 宇都宮、矢板、那須、と過ぎて福島県に入ると、ぽつりぽつりとシールドに雨滴が当たり始めた。地図で見ると高速道路は栃木県那須郡那須町から福島県西白河郡西郷村に入っている。この西郷村で翌朝豪雨による大惨事が起ころうとは、このとき俺は知る由もなかった。俺は急いでレインウェアに着替えた。

 須賀川、郡山、二本松、福島、と北上するにつれて雨脚が強まった。先行車が巻き上げる水煙で視界が極端に悪い。電光掲示板に《雨 八十キロ規制》の表示が出ていた。が、守っている車などありはしない。凄まじい水煙を巻き上げて疾走している。国見サービスエリアでガスチャージ。雨は上がっていた。サービスエリアを出てしばらく走ると県境を越えて宮城県白石市に入る。

 仙台南インターで高速を降りる。今日の目的地、松島へ向かう。松島へは国道四五号線で仙台市の中心部を通り抜けねばならん。仙台駅、県庁、市役所の密集する地区は激しい渋滞になっていた。なんとかすり抜けて海沿いの多賀城市へ抜ける。渋滞はない。塩竈市へ入ると道路は海岸に出る。磯の匂いがシールドのすき間から入り込む。

 やがて宮城郡松島町に到着。雄島の駐車場に乗り入れる。十六時頃だった。奥の細道の道中の松尾芭蕉が、そのあまりの美しさに言葉が見つからず《松島や ああ松島や 松島や》という安直な句を残した景勝地である。違ったっけ? そう言や中学の頃、芭蕉の句を一つ挙げなさいというテストの問題でこれを書いたら、思い切り×だったような気がする。まあ、いいや。

 松島湾のあちらこちらに巨大な岩、というより小さな島が点在し、そこに松の木が生い茂っている。観光船の出入りが頻繁だ。しかしあいにくの曇天である。時折まだ小雨がぱらつくこともある。俺の両手は真っ黄色になっていた。グローブが水浸しになり、染料が溶けてきたのだ。しばらく松島の海を眺めて休憩すると、再び国道を取って返した。

 今夜の宿泊は山形県天童市に決めていた。将棋駒の産地として全国的に有名だ。といっても宿が決まっていたわけではない。現地に行ってからでも大丈夫だろうと楽観していた。仙台市の中心部から国道四八号線に乗り換えて西進する。仙台市は政令指定都市なのだが、ちょっと中心を離れるだけですごい山奥に入り込む。横浜市の緑区とか港北区とかの田園風景とはまるでレベルが違う。本当の山地だ。百万都市仙台の一部とはちょっと信じられないくらいである。うーむ、恐るべし仙台。作並温泉という立派な温泉地まである。ここまで来ると標高千メートル近い山々の間を縫って走るワインディングロードだ。それでもまだ仙台市青葉区なのだから驚きだ。

 関山峠のトンネルを抜けるとそこは山形県東根市である。俺にとって生まれて初めての山形県入りだ。フルーツの産地のイメージが強い。特にさくらんぼ、だな。やがて沿道に将棋の王将の形をした看板がちらほら見え始めた。いで湯と果物、そして将棋駒の街、天童である。天童市に入ると国道一三号線で少し南下し、JR天童駅近くの市街地に入る。十八時頃だった。あたりはすっかり夕闇が迫っていた。

 あらかじめ目星をつけていたホテルに電話すると、なんと満室だという。もう一つのホテルも同じ回答だった。《ちょっと、こりゃまずいかなあ》俺は不安になり始めた。やっぱり行き当たりばったりではなく、ちゃんと予約を入れておくべきだったのか。三つ目のホテルもまた同じ。がーん。もちろんまだ周囲には宿、ホテルはたくさんある。だがそれらは高級な観光ホテルや旅館で、どう少なく見積もっても一泊二食で一万数千円はかかりそうだった。食事などどうでもよく、眠れるだけでいいと思っていた俺にとってはかなり余計な出費だ。《困ったな。どうすっかなあ。最悪の場合は仕方ないから高いところに泊まるしかないか…》俺はぼんやりと電話ボックスの外に視線を向けていた。

 その俺の視線がはたと止まった。交差点の電話ボックスに入っていたのだが、はす向かいにホテルが見えたのである。あわててハローページをめくったがそのホテルは載っていない。俺はボックスを出て建物に向かった。フロント係に今夜シングル一つ空いていないか尋ねると、空いているとのことだった。《これはラッキー!》俺は電話ボックスまで引き返してバイクを駐輪場に入れた。駐輪場には香川ナンバーのニンジャが止まっていた。香川とはまたずいぶん遠いところから来たもんだ。やっぱりツーリングだろうか。

 俺がフロントで宿泊カードに記入している間、フロント係は電話対応していた。
「誠に申し訳ありませんが、本日は満室でございまして…。はい、申し訳ありません」
 そんな対応を二、三回していた。電話を切ると、フロント係は不思議そうな顔の俺に向かって言った。
「実はお客様の部屋が、最後のひと部屋だったんですよ」
「えーっ、そうだったんですか!」
 まったくラッキーだった。あと数分訪ねるのが遅かったら、電話予約に先を越されていたはずだ。まさに間一髪セーフ。近くで大規模ななにかのオークションが開かれているらしく、それでここ数日わんさと人が押しかけている、とフロント係は言っていた。

 風呂に浸かり、缶ビールと一緒に夕飯を腹に流し込んで、俺は早々にベッドにもぐり込んだ。



二日目

 翌朝もまた曇天。いつ降り始めてもおかしくない空模様だ。九時過ぎに出発。隣のニンジャはもうなかった。どこへ行ったのやら。国道一三号線を南下して山形市の山寺こと立石寺へ向かう。途中で県道に入り、山間の道路を登っていったところにある。

 ここはさすがに観光客の姿が多い。観光バスが続々とやってくる。《閑けさや 岩にしみいる 蝉の声》またしても松尾芭蕉である。芭蕉がここを訪れたのは一六八九年五月二十七日だそうだ。もう蝉が鳴いていたのかしらん、と俺は思った。今は夏だから蝉の声は盛大に聞こえる。

 ところが境内を散策中に雨が降ってきた。かなり強い雨だ。奥の院まで登ってみたかったのだが、あきらめた。傘がないのでずぶ濡れになってしまうのだ。レインウェアに着替えて出発。続く目的地は蔵王である。

 一三号線をさらに南下して上山市の手前から県道蔵王公園線に乗り入れる。市街地を離れて山に入り、道路は徐々に高度を上げていく。蔵王温泉の表示があったので俺は県道を離れた。お目当ての露天風呂があったのだ。蔵王ロープウェイ乗り場を過ぎてごちゃごちゃした温泉街を抜け、《源七露天の湯》という共同浴場に行く。

 オープンしたばかりだ。悪天候で客足が鈍ったのか、風呂はがらんがらんだった。雨が降り注ぐ露天風呂に入る。雨の露天風呂もまたいいものだ。おまけに俺の貸し切り状態だったし。思い切り両手足を伸ばした。蔵王温泉は硫黄泉である。かなり硫黄分が強い。顔を洗ったときに湯が目に入り、しばらく開けられないくらい痛くなった。ちょっと舐めてみると強烈な刺激が舌を刺した。

 温泉を出た俺は再び県道に戻った。道路は蔵王エコーラインとなり、蔵王連峰へ向けてさらに高度を上げる。蔵王坊平高原がなだらかな傾斜をなす中をくねくねと曲がりくねりながらエコーラインが伸びる。前後左右に雄大なパノラマが展開するが、あいにくの悪天候で遠景は白いガスの彼方に没してしまっている。刈田岳の脇をかすめてエコーラインはピークを越え、宮城県刈田郡蔵王町に入る。ここからは下り坂となる。途中から濃霧が発生し、道路が完全に霧の中に沈んでいた。エコーラインは国道四五七号線にぶつかって終わる。ちょうど遠刈田温泉の温泉街がある。

 四五七号線をしばらく南下し、右折して県道南蔵王七ヶ宿線に入る。このあたりは牧場が多い。牧草地帯の中を道路は続く。途中、野良犬が前方をとぼとぼと歩いているのを見つけた。俺は徐行して犬に並んだ。黒っぽい雑種だった。すっかりずぶ濡れになって、空缶を口にくわえていた。バイクを止めて俺は口笛を吹いた。
「ほら、おいで」
 右手を差し出して膝を叩いた。犬も立ち止まって俺を見た。胸に突き刺さるような哀しい目をしていた。犬がくわえていた空缶はドッグフードの缶だった。まだ中に多少残りがあるのか、それともまったくの空なのに捨てられずにいるのか。犬は俺を見て、前後左右を意味もなく見て、うなだれるように首を垂れた。そしてまた俺を見た。なんという哀しい目をしているのか。なにを訴えんとしているのか。雨に濡れて寒いのか。空腹なのか。ドッグフードの空缶をくわえたままというのがなんとも哀れだった。

 俺は急にたまらない気持ちになった。食べ物でもあればやりたかったが、持ち合わせがなにもなかった。俺はバイクを発進させた。ほんの一瞬、犬は追いかけようとしたが、すぐに止まった。ミラーの中で、こちらをじっと見送る犬の姿が小さくなっていった。あの哀しげな目は今でも強烈に脳裏に焼きついている。なんとか元気で生き抜いてほしいと思った。あのまま死んでいくのはあんまりだという気がする。それは俺の勝手な感傷に過ぎないのだろうか。

 県道は七ヶ宿で国道一一三号線にぶつかる。右折して再び山形県に向かう。二井宿峠のトンネルをくぐると山形県東置賜郡高畠町である。高畠町の中心から県道米沢高畠線で米沢市へ向かう。米沢市の中心から今度は県道米沢猪苗代線に乗る。これでまっすぐ猪苗代へ南下するのだ。

 福島県との県境の手前に白布温泉というのがあった。《かんぽの宿》で日帰り入浴の看板を見たので寄ってみた。最近の公共の宿泊施設の料金はそれほど安くない。だから建物も内装もかなり立派だ。一流ホテルなみのサービスになっている。その立派な施設のきれいな温泉を、わずか五百円で使えるのは嬉しい。大きな下足箱にはブーツもレインウェアも入ったし、デイパックとヘルメットはコインロッカーに入る。このロッカーは無料である。

 タオルだけ持って風呂へ行く。大きくて、明るく清潔な浴室だった。扇型の湯船に浸かって前を見ると、大きな壁面ガラスの向こうで雨に煙る山々がそびえている。無数の白い雨の矢が絶えることなく落ちてくる。蔵王温泉でも感じたが、雨が降る中の温泉入浴というのもまた情趣があっていい。しっとりとした情感がある。

 風呂から上がると、俺はお隣福島県耶麻郡猪苗代町の湯治旅館に電話をかけた。ここもあらかじめ目をつけてあったところだ。部屋は空いているということだった。場所は猪苗代湖の北東で国道一一五号線沿いだという。スキー場のそばだそうだ。十八時頃そちらに着く予定だと告げた。時刻は十七時前だった。

 白布温泉をあとにし、西吾妻スカイバレーという有料道路に入る。これは山形県と福島県の県境の白布峠を越える道路だ。最上川の源流を過ぎ、さらに道路は羊腸しながら山を登っていく。標高一五一二メートルの東鉢山をかすめて白布峠を越え、福島県耶麻郡北塩原村に入る。

 峠道を降りてくるとやがて目の前に湖面が見えてくる。裏磐梯の桧原湖だ。折からの雨によってかなり増水している。道路のすぐそばまで波打ち際が迫っている。ちょっと恐かった。桧原湖の東岸の県道を通って南下し、国道四五九号線、国道一一五号線と乗り継ぐ。あたりはかなり暗くなっていた。旅館の所在地が今一つはっきりしないので、暗くなる前に着きたかった。

 ゆるやかな山道をずっと北東へ進むとスキー場の看板が見えた。この近くだ。注意深く沿道の看板類をチェックしながら走ると、旅館の看板が見えた。《ああ、あったあった! これだ》俺は看板の前まで走った。ところがである。国道をはずれたそこからは、数本の砂利道がてんでバラバラに森の奥深くへ続いていた。どれが旅館へ向かう道だか分からない。仕方がないので看板に一番近い道に乗り入れた。砂利道は拳大の石がごろごろ転がる水溜まりだらけの道となってさらに森の奥へ続く。
「ちょっと待てよ、うそだろ、おい」
 オンロードスポーツのバイクにはきつい道である。オフ車でないと走れないようなところだ。道を間違えたような気がして、いい加減に引き返そうかと思ったら、前方の森が切れて旅館が見えた。灯かりが見える。俺はホッとしてゆっくりバイクを進めた。正面の宿の二階の炊事場に高校生くらいの若い女の子が二人いるのが見えた。二人ともバイクの排気音に気づいたらしくこちらを見ている。玄関の前にバイクを止めると、近くのワゴン車から降りてきた中年男性に声をかけられた。
「あっりゃー、バイクで来たのかい?」
「はい。国道からの砂利道には参りました」
「そうだろうねえ。大変だ」
 宿の女将さんが迎えてくれた。この雨の中を大変だったねえ、ここはいい温泉だからよく暖まっていくといいよ、と言われた。妖怪のような仲居さんに連れられて部屋へ向かう。かなり古い建物だ。人の気配が感じられない。一体俺の他に誰が泊まっているんだろうと思った。さっきの中年男性と、二階の炊事場にいた若い女の子二人しか見ていない。案内された部屋は建物の一番奥まったところだった。

 はっきり言って凄まじいの一語に尽きる部屋だった。薄暗い電灯。変色した漆喰の壁と畳。かなり痛んでいるカーテン。ここは完全自炊の湯治宿なので、部屋の中に小さな食器棚があり、お皿やお椀などが置いてあった。自由に使っていいわけだ。その下に小型のプロパンガスとコンロが置いてある。窓のすぐ前が岩をかむ清流だった。川音だけが室内に響いている。

 まあ、なるほど湯治宿ってのはこういうものなんだな、と思った。湯治というのは大抵数日かけてするものだろう。数ヶ月という長期療養をする人もいるかもしれない。だから宿泊料はぎりぎりまで切りつめる。食事も完全自炊にする。極端な話、雨風がしのげればいいわけだ。だから部屋の善し悪しを口にするなどは本末転倒である。俺はそのへんはまるで無頓着なので気にならなかったが。ただこういう宿に泊まるのは初めてなので、ちょっと驚いてしまったのだ。

 俺は部屋を見回しながら、一体どんな人々がここで寝泊まりをして過ごしたのだろうか、と思った。薄暗い電灯の下で煮炊きをし、顔を寄せ合うようにして卓をかこんでいる老いた人々の姿、あるいは一人で寂しく食事をしている人の姿。ちょっと想像してみたが、どうしても侘びしく、寂しく、陰湿なイメージになってしまう。この部屋じゃどう考えても明るくはならんな、と俺は思った。俺一人だからよかったが、間違っても若いカップルは来ない方が賢明だと思う。そういう雰囲気ではない。下手すると相手の女の子が激怒して帰ってしまうかもしれない。とにかく安くて温泉に入れるところならどんなところでも構わない、という方にはお勧めだ。

 気を取り直してさっそく俺は温泉に向かった。玄関脇の小さな広間に、思いがけずたくさんの人が集まっているのを見て少しホッとする。さっきの炊事場の女の子もいた。小学生くらいの男の子二人に女の子二人、それにおばあさんもいた。子供がわいわい騒いで走り回っている。みんな家族なんだろうか。

 階段を降りていくと脱衣場があり、ガラス戸の奥が風呂場だ。先ほど玄関で会った男性ともう一人初老の男性が湯船に浸かっていた。女湯と男湯はなんと中でつながっていた。いや、一応浴場は別々なのだが、その間の仕切りが半分はずされていて自由に行き来できるのだ。温泉は無色透明でくせがなかった。かなり熱めの湯だ。開け放たれた窓のすぐそばに清流が流れているらしく、川音が間近に聞こえる。熱い湯に浸かってちょっとのぼせ気味になったら、湯船のへりに腰をかける。すると清流が巻き起こす涼しい風が吹き抜けてきて実に気持ちがいいのだ。

 風呂から上がり、自動販売機で缶ビールを買って部屋に戻った。テレビをつけるとニュースをやっていた。福島県と栃木県を中心にして、激しい集中豪雨が関東甲信越、東北地方を襲っているという。接近しつつある台風の影響である。両県の一部地域では、たった二日間で例年の八月の降水量の三倍の降雨があったという。たった二日間で一ヶ月の三倍! これはすごい。福島のどこだったか、積算降雨量が八百四十ミリを記録していた。猛烈な豪雨だ。この集中豪雨のために、今朝早く西郷村の障害者施設の裏山が崩落し、五人が土砂に埋もれて亡くなったそうだ。昨日東北道走行中に雨が降り始めたあの西郷村である。全国で十一人の人々が亡くなったという。

 福島市や郡山市、その他警戒水位を超えた大河川の地域住民の非難が相次いでいるという。とんでもないときに来てしまった。しかも東北自動車道は郡山、須賀川あたりで上下線ともに通行止めになっているという。磐越自動車道も福島あたりで通行止めになっている。そのため国道四号線への迂回を呼びかけていた。こりゃえらいことになった、と俺は思った。磐越道にも逃げられないとなると、あとは国道四号線しかない。怒涛の大渋滞が発生することは火を見るよりも明らかだ。どうやって明日東京に帰ろうか? 俺はちょっと考え込んでしまった。

 缶ビールを買いに玄関脇の自販機に向かうと、玄関にさっきのワゴンの男性がいた。一歳くらいの男の子を抱いている。埼玉県から七人の大家族で来ているのだという。小学生くらいの男の子や女の子はみんなこの人の子供だったのだ。いとこの家族がここに泊まっているので風呂に入りに来たそうだ。二階の炊事場にいた女の子二人はいとこの家族なのだろう。泊まるところはこの旅館ではなく、少し離れた別のところだと言い、しばらくすると土砂降りの中をワゴンで出ていった。元気な子供がいなくなったので、ちょっと寂しくなった。

 部屋でビールを飲みながらテレビを見て、二十一時頃また温泉に向かった。脱衣場で服を脱ぎ、浴室のガラス戸を開けたとたん、俺はその場で硬直してしまった。
「えっ!」
 そこには三人の女性の姿があった。中年の婦人と小学生くらいの女の子、そして高校生くらいの女の子だった。
「あらあ、ごめんなさいねえ」
 笑いながらおばさんがそう言い、湯船から上がった。当然のことながら、タオル一つ巻いてないすっぽんぽん。そして隣の女湯へ消えた。その次が小学生の女の子、そして最後が高校生の女の子だった。ワゴンの男性のいとこ家族である。おばさんと小学生はどうでもいいが、高校生の方は感動ものであった。完全な裸体、一糸まとわぬフルヌード。
《うーむ、こいつは思わぬ収穫だ。この旅館へ来てよかった。ラッキー!》
 俺は湯船の中で仁王立ちとなり、両手を握り締めて快哉を叫んでいた。バンズワーイ、君にい、会えてよかったあああ。



三日目

 翌朝も、やはり雨。それほど強い降りではなかった。九時前に出発。国道一一五号線を取って返す。猪苗代湖に近づくと雨はやみ、湖の対岸側の空は雲が切れて晴れ間がのぞいていた。湖岸の国道四九号線にぶつかるとピーカンだった。猛烈な夏の日差しが照りつける。東北へ来て初めて拝む太陽だ。まったくなんという変わり方か。さっきまでの雨はどこへ行ったのだ。引き千切ったような雨上がりの雲が湖を覆っていた。対岸の山々も光を浴びてきらきら輝いている。このまま晴れてくれるといいのだが、と思った。

 ガスチャージして国道を西へ向かう。帰り道は一般道で帰るつもりだった。福島、郡山方面へ行ったら渋滞のどつぼなので、会津若松から田島、鬼怒川、今市、宇都宮へ抜けるルートを考えた。深い山間の国道を通り抜けるルートである。往路を引き返すよりはおもしろかろう、と思った。

 白虎隊で有名な会津若松の市街地を通過する。本当に暑い。たっぷり雨水を吸い込んだ地面に強い日差しが照りつけ、今度は猛烈な蒸気を立ち昇らせる。熱気がすさまじい。これまでの悪天候がうそみたいな晴れ方だ。きつねにでもつままれたような気分だった。俺は途中でレインウェアを脱いだ。この先は天候の変わりやすい山道なので、いつでもまた着られるように荷物の外側にくくりつけた。

 国道一一八号線に乗り換えて南下する。会津鉄道と並走しながら阿賀川沿いの谷間を走る。川の水は濁って真っ茶色だ。増水して通常の倍以上の川幅になっている。凄まじい濁流が岩をかみ、土手を削り、泥を巻き込みながら狂ったように下っている。あんなのに飲み込まれたら助からんな、と恐くなった。

 芦ノ牧温泉を過ぎ、道路は国道一二一号線となって南会津郡田島町へ向かう。県境にある長さ三四四一メートルの山王トンネルをくぐると、栃木県塩谷郡藤原町に入る。ここから再び雨が降り始めた。俺はレインウェアに着替えた。那須へ抜ける国道四○○号線との分岐を過ぎてしばらく行くと、真っ茶色に変色した巨大な湖面が現れた。五十里湖である。ちょっと信じられないような色だった。川から押し流されてきた濁流がたまったのであろう。あんな色の湖は初めて見た。おまけに水位が異様に高くて、いつ道路までせり上がってくるか恐くなるくらいだった。

 五十里湖あたりから渋滞が始まった。俺と同じように国道四号線を避けた車が多いのだろう。道路が少し狭いので、大型トラック同士のすれ違いなどで止まってしまう。俺は適当にすり抜けながら進んだ。道路もいたるところで冠水している。特に下り坂と登り坂の間の底の部分に水がたまる。そこに突っ込むわけだから、当然水を盛大にはね上げる。対向車同士で派手に水のかけ合いをやっている。俺もたまに思い切り頭から水をかけられた。ザッパーン…!

 川治温泉、鬼怒川温泉あたりまで断続的に渋滞がつながっていたが、鬼怒川を過ぎると流れ始めた。俺は今市市までかっ飛ばしてそこから日光宇都宮道路に乗った。宇都宮から国道四号線に乗って、あとは一直線に南下して帰ってきた。帰宅したのが十六時前だった。レインウェアの着替えのときしか止まっていないので、ほぼ七時間走り通しだった。おまけに雨だったし。えらい疲れた。三日間豪雨の中の走行を強いられた我がRVFは悲惨なことになっていた。どこもかしこも泥だらけ、砂利だらけである。水も大量にかぶっているからなあ。ちゃんとメンテしてやらにゃ。



追記
 今回の集中豪雨の中心となった栃木県那須郡那須町では、降り始めから五日間の積算降雨量が、なんと千二百ミリを超えたそうだ。これは同町の年間降水量の三分の二に当たるという。たった五日間で年間降水量の三分の二! いかにすごい豪雨だったか、改めて知ってびっくりした。

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